捨てる決断、アップルの教訓

今朝の日経新聞のコラムにアップル社に関する記事がありましたので、一部紹介させていただきます。日本経済新聞記事 「一目均衡」 (編集委員 西條郁夫氏)より

apple


捨てる決断、アップルの教訓

21世紀の最初の10年が過ぎつつあるが、この間最も輝いた企業はどこだろう。
独断と偏見で選ぶなら、経営危機の瀬戸際から「株式時価総額でIT(情報技術)企業の世界一」
にまで復活した米アップルの名を挙げたい。

十数年前のアップルは内紛や商品戦略の失敗が続き、お粗末の一言。
旗艦「マッキントッシュ」は昔からのファンを引き留めるのが精いっぱいで、
IT革命が生んだ新規のユーザーは競合のマイクロソフト陣営に持って行かれた。
今はやりの言葉を使えば、世界の大勢から孤立し、仲間内で盛り上がる
「ガラパゴス商品」の色彩が強かった。

創業メンバーだったスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)が1997年に
アップルに復帰して真っ先に手掛けた仕事は何だったか、アップル全盛の今しか
しらない若い読者にとっては驚きだろう。
ライバルであり、旧知の仲でもあるマイクロソフトのビル・ゲイツ会長(当時)に、
二つのことを頼み込んだ。

一つは「ワード」などマイクロソフトの応用ソフトをアップル製品でも
動かせるように改良してほしいという依頼、もう一つは資金援助(出資)
だ。幸いこの二つの頼みをゲイツ氏は応諾し、アップルは幸うじて命脈をつないだ。

そこまで追いつめられたアップルが復活できた原動力は何か。
大きかったのは「捨てる決断」である。

同社は2001年に従来の基本ソフト(OS)に見切りをつけ、「OS X(テン)」
と呼ぶ新OSに切り替えた。
コンピューターの頭脳であるOSの全面刷新は半端なことではない。
OSがバージョンアップではなく新規のモノに切り替われば、
以前のOSに準拠した応用ソフトや使い手の熟練は水泡に帰す。
古くからのアップルファンには抵抗もあったが、ジョブス氏の決断で押し切った。

その理由は、多機能端末「iPad(アイパッド)」をいじってみれば、すぐ分かる。
iPadの使い勝手はパソコンというよりテレビに近い感覚で、電源を入れると
ほぼ同時に画面が立ち上がる。競合ソフトに比べて、アップルのOSが
それだけ「軽い」からだ。

旧OSにしがみついたままでは、アップルを支える商品競争力は生まれず、
今日の繁栄はなかっただろう。「捨てる決断」が功を奏したのである。

以下省略いたします。

下の写真は記念すべき最初の手作りパソコン APPLE 1
自分たちで設計した電子回路をベニアの箱に納め組みあげたもの。
アップルコンピュターの原点というべき製品です。
アップルが30数年後にiPad や iPodなどの製品を生み出す会社になろうとは、
誰も想像していませんでした。

apple1

編集委員の西條氏が綴っているように、
ジョブズ氏はコンピュータのソフトとハードの両方で、
大胆な取捨選択を行ってきました。
現在採用している製品に発展の余地を見いだせなくなった時、
現在の製品をはるかに凌ぐ有益な技術が開発された時、
どちらの技術が将来の可能性があるのかを即座に判断してきました。

例えば、パソコンの頭脳であるCPU(中央演算処理装置)をintel製に、
基本ソフト(OS)をunixベース(原型はnext step)の全く新しいものに
変更しました。
また、初代iMacからフロッピーディスクの標準装備を止め、
パソコンと周辺機器をつなぐケーブルに業界で初めてUSBを採用したりと
常に時代の先を見据えて、製品の開発を行ってきました。
アップルが先進性を重視するあまり、ユーザーは製品の互換性の問題に
何度鳴かされてきたことでしょうか(涙)

既存ユーザーの批判にも関わらず、ジョブズ氏は
パソコンの製品の未来の形を想像しながら、良いもの、必要と判断したものは
多少難があったとしても積極的に取り入れてきました。

試行錯誤、成功と失敗を繰り返しながら、
アップルは歴史上稀に見る復活を成し遂げることに成功しました。

次回はマックの長期ユーザーとしての視点でアップル復活劇について、
話してみたいと思います。

つづく

apple old logo mark

30数年前にデザインされた初期のアップルロゴマーク
6色のカラーが美しいです。
 

投稿日時:2010.10.28(Thu) 08:54:15|投稿者:tokunaga