30年前の東国原英夫氏

東国原英夫氏の存在を知ったのは、もう30年も前のことになる。
私が高校一年生の時だった。

中学の頃からラジオの深夜放送を聴くようになった私は、高校入学後もその癖が抜けずに、ながら勉強(と言ってもリスニングの方に集中)をよくしていた。中でもよく聴いていたのが「オールナイトニッポン」という深夜放送番組。曜日ごとに様々なパーソナリティーがDJを担当する人気番組だった。その時のパーソナリティーを今思い出してみると。。。
(一部に記憶違いがあるかもしれませんが)

月曜日 中島みゆき
火曜日 松山千春
水曜日 タモリ
木曜日 ビートたけし
金曜日  ?
土曜日 鶴 光

今では考えられないような、錚々たる面々。
ビートたけし氏の第1回目の放送を偶然聴いてしまった(笑)私は、放送内容のあまりのすごさ(過激さ)に大きな衝撃を受けてしまい(内容のすごさはここでは割愛します)おかげ様で毎週ラジオを聞くはめになってしまった(笑)。

そして、その番組の何回目かに登場したのが「東国原英夫」氏である。
では、どういう内容だったかと言うと。。。。。
放送の内容を、アバウトな記憶を元に再現すると。。。

(以下たけし氏談)
「ある時、東国原という男が俺のところにやってきて『私を弟子にして下さい』と土下座して言うんだよな。俺も困っちゃったんだけどよ、まあおもしろそうだから、俺の弟子としてふさわしいかどうかを確かめるための試験を番組内でやることにしたんだよ。東に、おれの本を(ツービートの本)をリュックにいっぱい背負って、無銭で東京から大阪までヒッチハイクで行くという企画なんだよ。。。。」

ということで、東国原氏はツービートの本を背負って、ヒッチハイクの旅に出るはめに。
毎週生放送の番組の中で、『師匠? 今どこどこまで来ました?』なんて話していましたっけ。
その放送を聴いていた私は、大人になってこんなことさせられるなんて、何て可哀想なんだろう?と哀れんでいました(笑)。
ところが、その人物が、今では宮崎県の知事として、不眠不休で宮崎県のために日々尽力している。人の人生どう変わって行くのかわからないものだ。ただ言えるのは、東国原氏が漫才師そして政治家になったのは偶然の産物ではないということである。自らの目標に向かって、ひたむきに努力した成果なのである。

東国原英夫
※ ボーイスカウト宮崎県連盟創立50周年記念式典でご挨拶をいただいた時の写真です。
知事としての貫禄があります。挨拶も上手です。さすがです。

宮崎県庁 知事室
『宮崎県庁 知事室』 東国原知事が執務を行っている部屋です。
椅子の左側のハンガーには、知事のトレードマークのシャンパーが掛かっています。
さりげない演出?に知事の気配りを感じます。
(一般公開日に撮影しました。)

投稿日時:2010.06.04(Fri) 21:46:00|投稿者:tokunaga